やりたいと思ったことをやりたいときにできる、ということが、一つの自由であり、幸せなんじゃないかと思う。
それは豪勢な生活をしたい、という意味ではなく。
素直になる、ということは、それも含まれていると思った。
躊躇が大きいことほど、それは、するべきことで、その結果も大きいのではないか。
乗り越える壁が高いほど、それに伴う犠牲も大きくなるのかもしれない。
そんな言葉をどこかで目にしたことがあったっけ。
「前も後も横も逃げ道を塞がれている。なら、上に行くしかない。」
そう追い込まれた結果だったとしても。
とことん上に行けるのならば、それだって、十分ありでしょう。
夏休みの宿題は、追い込まれてからじゃないとできないタイプだと思う。
それは、自分がすることが、すべきことに対して、躊躇を感じるからで、それを乗り越えるために、前も後ろも横も逃げ道を塞がれて、後は上に行くしかない、という覚悟を決めないとできなかったからだ。
それだって、そういう状況になって、そうすることができる、ということも、才能なのかもしれないし、運なのかもしれない。
でも、それって、ヘタレって言うんじゃないか?と言うなら、まあそうなんだろうw
けど、「やりたいと思ったことをやりたいときにできる」を、仕事においては、「やるべき」という形であれ、したと言えるけれど、プライベートではしたことあったのだろうか、と今思う。
何かと言い訳という名前の理由をつけて、したことなかった、先送りにしてきたことが山ほどあって、負のサイクルを回してきたんじゃないか。
勿論、全くしてこなかった、ということではないんだけど、それでも、振り返れば、そう思う。
正のサイクルにする、と決めたからには、とことん上に行く。
表舞台に立つなんてのは性に合わないから、知る人ぞ知る路線で笑。
なんか、どういうことになるのか、正直自分でも予測不能。
「本当の自分」なんて擦り切れ過ぎて、笑い種にしかならない言葉が、ぴったりなほどに。
あ。それを、「楽しい」って言うのかもしれないな。