「根拠のない自信とは、おそらく自分は他人から肯定的にみられているだろうというイメージのこと」 オードリーの若林正恭は本にそう書いていた。
明けましておめでとうございます。
あなたのアートを誰に見せますか?@東京藝術大学大学美術館
これは負け犬の遠吠えだ。
大昔に書いた文章。残しておきたいと思ったから再掲。
あけましておめでとうございます。
自分が作り上げた一般的なことから外れたことをしたいと思ったときに、それに何かしらの理由をつけてやめようとさせる自分がいた。
これまで、大きな後悔は一つもないと以前書いた。過去の分岐点で、それ以外の選択をすることは、その時点ではないと思えるからだと。
武術ができるようになりたいと思っていた。
あるせくんチームのコーチ、ボブサップエイムくんがIGL(指揮官)として振るった試合は圧巻だった。
「君たちはどう生きるかの哲学」という本を読んでいて、「自分の問題」が何なのか、という問いかけが人生のテーマに繋がっているという話があった。
捨て身になる。どうなっても構わない。それでも、こうするのだ、という思いでやる以外ない。
天才にならなきゃならなかった。
ざまあみろと思いたかった。
上手くいきそうになったり、これでいけると思ったときに、いつの間にか自分に多大な被害や損失を生じさせる行動をしていた。
今までできていなかったことをやる。
あけましておめでとうございます。
今になって思えば。コミュニケーションというものが、わかっていなかった子供だった。
やりたいと思ったことをやりたいときにできる、ということが、一つの自由であり、幸せなんじゃないかと思う。それは豪勢な生活をしたい、という意味ではなく。 素直になる、ということは、それも含まれていると思った。
俺は「できる」人間ではない。「わかる」人間だ。「わかる」とは、「理解できる」という意味ではなく、感覚としてわかる、という意味。
俺は傍観者で、見せてくれよって思ってる。俺の心を動かしてくれるものを。そのためなら、できる限りのことをするからって。
まふまふが東京ドームで無観客ライブを無料配信する。生配信でそのことを聞いたときには、想像を絶することで吹き出した。
23歳で白血病で余命宣告を受けた人のブログとnoteが目に留まって、ひとまず最新のところを読んだ。
明けましておめでとうございます。
自分が思ったこと、考えたことを書き記すことによって、自己を見つめ直す機会を作ろうと思って立ち上げました。
少し前に、課金ゲームにおいて、最強のアイテムが聖剣エクスカリバーであるならば、無課金ユーザーにとっての最強レアアイテムは、魔王になれる剣だという話を読んだ。最強になれるが、みんなから襲われる。 ====それでも、魔王になれる剣は欲しいだろうか?…