龍の棲み処

Blackdragon 黒龍のブログ

裏返しの世界

今になって思えば。
コミュニケーションというものが、わかっていなかった子供だった。

 

小学校低学年のころから、どこか、他の子供とはずれているという朧げな実感があった。

 

そう思った出来事の一つに、小1の時に、クラスの一人一人が好きに歌を歌う時間のことがある。
当時、見ていたアニメの主題歌を歌ったのだけど、知っている人がいなかった(と思われた)。
ゴールデンタイムに放映していた番組で、見ている人はいると子供心にも思っていたのだが。

 

小学校が、男女ともに、運動ができることを良しとする雰囲気があって、からきし体育がダメだった自分には、休み時間の居心地の悪さも相まっていた。

そして、友達らしい友達というものができなかった。
幸いなことにいじめにあっていたとかではなかったのだけど。

 

なんというか、誰かと話をする、ということが、どういうことなのか、何を話したらいいのか困ってしまう。

その後、中学受験に向けた塾に通うようになっても、それは変わらなかった。

 

もう一つ、俺は、親に褒められた、喜んでもらった、という記憶がほとんどない。
例えば、中学校に合格したとき、よかったねとかは言われたけど、何というか、自分がそうして欲しかった形ではなかった。本や映画を見ていれば、ああいう家庭で過ごしたかったと思ったこともある。

親は自分の好きにはさせてくれたと本心から思っているけど、家の中に居場所はなかった。
親は二人ともまっとうだから、超変人の俺をどうしたらいいのかわからなかったんじゃないかとも思う。
この年になれば、親という存在も少しはわかってきたし、感謝こそあれ、恨みつらみはない。


このことは、後々まで影響していて、正の感情のサイクルで物事をしたことが、ないに等しい。

中学受験したのは、最初は親に連れられてだったけど、地元の中学になんとしても行きたくなかったからだった(話したいと思う人がいないから環境を変えたかった)。
そういう負の感情を原動力にして勉強したのだし、社会人になってきつかった時も、一人前と認めてもらうまでにやめるなんてありえないという負けず嫌いや、自分のせいでプロジェクトが失敗したなんて、絶対に言わせないという意地だった。

挑戦して、できるようになって、褒められて、自分でも実感が持てて、楽しくて、そういう正の感情で成長してはいない。

自分の部下ができたときには、そんなこれまで自分が味わったことは決してさせたくないと思って、自分がそうしてほしかったように努めた。
人を育てたい、と言っていたのも、自分と同じような目に合う人を少しでも減らしたいと思ったことが、それなりの要因を占めていたことは間違いない。

 

けれど、結局は、他者にどれほどのことをしたとしても、自分の何かが解消されることはなくて。
自らに向き合って、原因となっている思考や行動様式を変えていくほかはなかった。

仕事で楽しいと思ったことがなかったのも、正の感情のサイクルを持っていなかったからなのかな?

 

人は感情を味わいたい存在だと思っている。
正の感情のサイクルがなければ、負の感情のサイクルで感じるほかない。
上手くいっても、できるようになっても、何とも面白くも楽しくもなかったら。
感情を感じるには、負のサイクルを起こすしかない。

素直になりたい、けれど、それが突飛なことが多い自覚があるのは、なんと打ってつけだったことだろう。
引け目を感じるからしたいのにできない、後になってやっぱりしておいてよかったと後悔する。自分は正しかったのだと思う。

自らの正しさと、そうすればよかったという負の感情を、相反するものを同時に味わえるサイクルの完成。

だって、もし、それが間違っていたのなら、根拠のない自分には、責められたら逃げ場がないのだから。
表面的に自分に自信がなかった自分は、責められることがいやで堪らなかったし、あまりにもお膳立てができすぎている。


だから、にっちもさっちもいかず、自己表現できないようになってしまった。

傲慢で、自己中心的で、仕切り屋で、幼いころにそうしたことにネガティブなレッテルを持つことになってしまったこと。
本当に、多くの意味で、真っ当に育たなかった。


10年かかっても変わろうと覚悟を決めて、始めたことは、20年かかっても終わらなかった。

ジムのように、誰か壁打ちしてくれ、励ましながら追い込んでくれる人がいてくれたなら、ずっとスピードアップしていたとは思っても、たらればだし、そうなる分岐点は振り返っても見当たらない。

 

いくつかあった転機の中で、最も大きかったのは、5-6年前に「子どもを生きればおとなになれる」という本に出会ったこと。
自分とは関係ないと思っていた、アダルトチルドレンに該当していることに愕然とし、受け入れたつもりにはなっていたけど、そこに書かれていたことをきちんと実践できたのは、それから数年たってからだった。

負のサイクルを抜け出して、正のサイクルになるために。

「年収1000万を超えた瞬間に、お前の「無謀」は「勇気」になり「臆病」は「計画的」になり「傲慢」は「堂々とした性格」になる。」

「短所は裏を返せば長所になる。それは個性(オリジナリティ)だ。個性を見せつければいい。」

野心的に、感覚的に、規範のない場所で、正のサイクルで、楽しく過ごす。

俺がどれほどできるのか、わかるのか、自分に見せつける。
これが俺の世界だ!!!!と誰よりも見せつけてやる。というよりも、見てみたい。

やっと、ここまで来れた。