龍の棲み処

Blackdragon 黒龍のブログ

できない人間の一つの在り方

俺は「できる」人間ではない。「わかる」人間だ。
「わかる」とは、「理解できる」という意味ではなく、感覚としてわかる、という意味。

 

例えば、車の運転でバック駐車をすることが、どういう風にすればできるのか、感覚的にわかる。
逆に言えば、どう説明されても、その説明を理解して納得しても、練習しても、その感覚がわかるようにならない限り、できるようにならない。

俺ができるとしたら、それは(感覚として)わかるからであって、理解してできるからではないのだ。

だから、できるようになりたい、と思ったことはあまりなく、わかるようになりたい、と思っている。


ところで、スポーツの勝負はざっくりと三つに分かれると思う。

一つ目は、野球やバスケのように、トータルとしてどうなのかが問われるもの。
野球の打者は打率は3割もあれば十分であり、毎回成功することが求められていない。
失敗することが、うまくいかないことがある前提で、最終的に他者よりも勝ればよい。

二つ目は、柔道やボクシングなどの武術系や卓球、テニスなど。
基本的に勝ち続けることが求められる種類。
負けたらそこで終わり。

三つ目は、体操やフィギュアスケート、水泳など。
他者よりも自分がいかに優れているかを示すもの。たまに好みという主観があったりする。
競争相手はいても、勝負においては、他者と直接相対しない。

ラソンは二つ目?とかグレーな感じがしないでもないが、全ての競技を分類することが今の目的じゃない。

俺は武術ができることに憧れ、結局今までほぼすることもなく来ていて、他方で人並みにでもできるスポーツは水泳だけで、あとはからきしダメだ。
鑑賞が好きな芸術系も三つ目に属しているし、トップを取ることよりも、自分がどれほどすごいかを示したいと思っているタイプだし、三つ目に属する人間なのだと思う。


最初の話に戻って、「わかる」者としては、ときに間違えることもある。
三つ目は、間違えることがあったとしても、トータルで、その人が優れていると思われている限りは、問題にならない。その意味では一つ目にも近いところがある。

けれど、そこに関しては、武術への憧れが影響しているのか、幼いころのあれこれもあって、間違えたら終わりと思っていた節があって、それがとてつもなく足を引っ張っていた。

わかるタイプなのに間違えたく(負けたく)はない。
素直になりたいことの壁は、この一点にあったのかもしれない。


ということで。

間違えたら、それはそのとき。
「ないなら、ないなりの作戦を考えましょう」

傲慢でいいと思う。それと素直さは、相反するようなことは、両立するのだから。


お前はどうしたいんだ?
感情で判断するなよ。
感覚で行動しろよ。「わかる」ことを最大限生かさずどうする?


どれだけ「わかる」のか、自分に見せつけてやるよ。
それは、どれだけ「できる」のかってことの裏側にあるものだ。

理解しているからできるんじゃない、わかるからできるんだってね。

そう。間違えることはあるだろうが、俺は正しいと思っている正義な人間なのだ(爆笑)。
正義はオワコンなのに。

いつかは、俺が正しかったことが証明されると思ってる。

つまるところ、自分が正しいことを自分に証明したいだけなんだ。

理由?そんなの「わかる」からに決まってるじゃないか笑。

終わってるなw

そうわかっていて、それに全振りするのは、宇宙人だからだ、ということにしといてほしい。