今までできていなかったことをやる。
毎回同じ内容であるならば、よかったのかもしれないが、そうではない。
全く同じことは二度となく、似たような場合といっても、いくつかのパターンがあるし、そのどれかを見極めて、それぞれのできていなかったことをすることになる。
そうわかっているし、その場で感じることまではできているけど、実行に移そうとすると勝手にできない言い訳を作り出してしまう。
そうしなかったことによる損害の方がこれまで圧倒的に多いというのに。
そうして仮にダメだったとしても、それを咎める他者などいないというのに。
自分が変わることがどうなるかわからないから怖いのか?
このままリビングデッドのようにくたばるなんて許せない。
なんとしたってそうなるし、原因を突き止めてそれで変わるのならなんだってする。
すでにXX円は使ってる笑
それだけの金だって、自分が変われるのなら一ミリも惜しくはない。
そのくらいの覚悟はあるのに。
そこまでして憚っているものは何か?
俺は自分の中に化け物がいるのだろうか?
それが目覚めることになるのを怖れているのだろうか?
やばくなったときだけ、「本当」にわかるのは、できるのは、それを理由に(言い訳)にできるからだろうと思ってる。
トラブルシューターで好き放題したいのも、みんなの目線が一致していて、状況のやばさがくっついて興奮できるし、それゆえに自分が好き勝手できるからだ。
けど、その「盾」を取り払う。
いつだって、同じように好き勝手する。
それは楔を解かれたやばい代物なのか?
だとして、そこに不都合はあるのか?
はちゃめちゃでいいんだよ。
はちゃめちゃがいいんだよ。
そのとき、同類が集まってくる。
俺と同じろくでなしが。
滅べばいいと思ってる。
いたらあかんタイプは。
争いや諍いは好きじゃない。
好きじゃないけど、自分の目的を達するためなら喜んでする。
一人の命のために百万の命を躊躇なく犠牲にできるタイプだ。
だから政治家にも軍人にも向いてない。
革命家?そんなのくだらない。
自分一人でできることには限りがある。
自分の目的を実現してくれる仲間を何人も応援する方が圧倒的に良い。
そういう意味では宗教家なのかもねw
人生なんて戦いだ。
自分が如何ほどなのかを自分で知るために、自分に見せつけるために。
「価値基準」が違う無数の人々がいるのだから、相容れない人たちも無数にいるだろう。
お互いに邪魔をせずに共存できることが何よりだと思うしそうしたい。
とはいえ、邪魔をするなら全力で排除する、煉獄さんタイプ。
いや、宗教家なら、究極は世界統一になるからそれは無理か。
どの宗教を信じていたって構わないと思うんだけどね。
邪魔してこない限りは。
ってそれ、やっぱ、ある種の宗教だな笑
でもさ、誰しも自分の宗教を持っているんじゃないか、とも思う。
相容れない人がいるのは、信条なのか、考えなのか、そういう何かがあるからだろう。
もうちょっと言うなら、「自分の宗教」をもっと明確にして、もっと大切にした方がいいんじゃないかと思ってる。
ちきりんが最新刊で「自分の意見で生きていこう」としたのも、たぶん同じ(まだ読んでないのだけど..)。
その方が今より圧倒的に多様で自由な空気になる。
もっと楽しくなれると思う。
それすら、一つの宗教なのかもしれないけど、だとするなら、そういう宗教が普及してほしい。
「戦い」というのは、そういう意味だ。
だから、「盾」がなくたって、いつだって、「本性」を見せよう。
ようこそ。「私」の世界へ。