龍の棲み処

Blackdragon 黒龍のブログ

自ら作り出すもの

上手くいきそうになったり、これでいけると思ったときに、いつの間にか自分に多大な被害や損失を生じさせる行動をしていた。

 

魔が差す、というのはそういうことなのか、アルコールやドラッグ依存症の人がなかなか断ち切れない、一回くらいは、と思ってしまうのは、そういうことなのだろうか、など思ったりもするようになった。

これは、最近、ということでもなく、子どものころからそうだった。

これくらいいいだろと思ってやってしまって、酷い目に合う。

自分でも、その瞬間、なぜそう思うのか、後から振り返ってもわからなかった。

そして、最初に書いたように、何かが上手くいくようになりそうになったときにたいていやらかすので、自分で自分の成長や成功をわざと妨げているように思って、その辺りから原因を考えてみたりもしたのだけど。

一つには、自分が調子に乗って傲慢になることへの怖れがあるのではないかと思い、その点からの思考の整理をした。
その点は自分なりに納得がいくようになってきたので、大丈夫かと思っていたのだけど。

また、悪いことをして、人目を引き付けるねじれた行動をとる心理が働いている可能性もあると本を読んでいて感じた。

善いことをしても褒められないのなら、悪いことをして注目を集めようとする意識が生じるのだという。
自分が感情を味わうために、マイナスの方をわざと引き起こす。

それもあると思った。

だけど、自分が被害や損失を被ることを自ら引き起こして、毎回ひどい想いなんてしたくない。

そのためには、自分が気分良くなれるように、務めるほかない。
これまでできなかった、したいことをする。

これはと思ったクラウドファンディングに少額でもお金を出す、応援している人の誕生日プレゼントとして
少しでも欲しいものリストから贈り物をする、これまでなら、自分が変わってからにしようと思ってしてこなかったことを、まずは行為が先だと思いなおして、やることにした。


変わりたい、やめる、もうしない、そうしたことが、簡単に破られてしまうように、周囲の人や見ている人は思う。
自分もそう思っていた。

でも、ある意味自分が当事者として思うのは、そういう意志だけでは、すぐには全く変わらない、ということだ。
思考や感じ方を変えるにしても、劇的に一瞬で変わることはまずなく、徐々に、一進一退を繰り返しながら変化していくにすぎない。

ダイエットと同じように、一日ジムに変わっただけでは何ら変化はなくても、半年後には劇的に変化しているようなものなのだ。

その辛抱強さと意志の強さが不可欠で、また繰り返しているように思えても、それで見限ってはならないことも多いのだと思う。

覆水を盆に返すようなものなのだ。

だから、本来は、水が覆るまでに、すべきことが自分や周囲にありえて、病気と同じように予防できるなら、そちらの方が圧倒的に良い。

同時に、今、すでに、そうなっている人には。

自己嫌悪を繰り返して、理由もわからなくて、つまらなかったあの日々が、そういうこともあったと思えるようになるまで。

自分ができると思えるのなら、何としたって達成する。

楽しくて面白いことをすごす方が、それに、面白いことは自分で作り出すものだから。