龍の棲み処

Blackdragon 黒龍のブログ

捻じりの解し

ざまあみろと思いたかった。

褒めてもらえないのなら、喜んでもらえないのなら、ダメなときは怒られるのなら。
プラスの感情を味わえないのなら、だけど、怒られるのはいやなのなら、どうしたらいいか。

その結果としての反応が、お前の方が結果的に間違っていたんだよ、ざまあみろって思いたいってなったんじゃないだろうか。

いったんは怒られたとしても、結果的に自分の正しさが証明できれば、そら見たことかって思える。
そうやって、拗れた形で正の感情を味わえればいい、そう思うようになっていった。

当時はそんなこと、意識していなかったけど、振り返って思い返せば、なるほどなと思う。

注意を惹きたくて、悪いことを(あえて)やるという子どもの心理があると知ってから、自分にもそれがあったんじゃないかと思ってはいた。

だけど、怒られることがいやなのはずっと思っていたことで、それがわかっていて、あえてやっていただろうか、とも思った。

でも、自分の方があっていたでしょ、と思いたいため、なら納得がいく。


犬が愛しいのは、人と比べることをしないから、損得なく愛してくれるから、ジャッジがないからだと書いている人がいた。

現実で、仮想で、誰かと比べてばっかりで、子ども心に愛を感じたことがなくて、自分でジャッジばかりしてきた。

そんな形で、自分の正しさを証明しようとするなんて、悲しすぎる。

だけど、こうやってわからないと、変わらない。
原因を見つけて、過去の自分が自分なりにどうにかしようとしたことを労って、エネルギーの向かう方向を変える。

誰かと比べても意味はないし、自分の好きなようにしていいのだから。