龍の棲み処

Blackdragon 黒龍のブログ

結局後悔するのなら

これまで、大きな後悔は一つもないと以前書いた。
過去の分岐点で、それ以外の選択をすることは、その時点ではないと思えるからだと。

 

だけど、小さな後悔が、例えば、昨日はカレーじゃなくてうどんを食べればよかった、そのような忘れ去っている後悔が積もりに積もって、一つもない大きな後悔よりも遥かに大きくなっているんじゃないかって。

だから、素直になればいいのだと思ってやってきた。
それはそれであっていたと思うのだけど。


旅行に行くときは、事前の下調べをかなりする。
行く場所、食べる店、泊まる宿。

それは、帰ってきてから、ここ知っていたら行ったのに、という後悔をしたくないからだ。
その時その時、自分は心行くまで調べつくして、その結果決めたのだ、という思いでいたいからだ。


そして、自分は変わった性質だ。
人があまり行かないけれど、美味しい店、素晴らしい場所、隠れた何かを探して、経験することをしたいタイプだ。

その変わり種が、ときに引け目に感じて、素直に行動することができなかった。
だから、素直になればいいのだと思っていた。


本当はその裏側に、もう一つあった。

後悔したくないのだ。
いや、最初に小さな後悔を沢山していると書いてるだろうとつっこみたくなるだろうけれど。

後悔したくないから、後悔することがいやだから、人とは違う行動や選択肢を、それが自分が本当はしたいことであっても、することに躊躇を感じていたのだ。

他者から好奇の目線で見られることがいやだったこともある。
それだけなのだと思っていた。

無難な選択をすれば、後悔することはないんじゃないかと、あえて自分が感じた、挑戦的な選択肢は取らなくてもいいんじゃないかと思っていたのだ。


だって、挑戦的な選択肢をして、失敗だったと思ったら、やっぱり無難な方にすればよかったという後悔を抱くから。

変わっていることにも引け目があったのだから。

その二つが合わさって、雁字搦めになっていたのだ。

大抵は、無難な方を選んで、結局、自分の素直になれなかったことを後悔していたのだけど。

 

それを繰り返していたのなら、なぜ自分に素直になれなかったのか?

自分の素直さが仮に間違っていたとしても、素直に行動したことの価値をより認めるべきではなかったのか。

自分が間違っていた時の後悔ほど、いやなものはないと思っていたから。

間違えたくなかった。

ミスは許せても間違えることはしたくなかった。

でも、実際は間違いも何回もしていたはずで。

ただの理想理念にすぎなかった。

 

普通とは異なる選択を自分の感覚や気持ちに従って行動して、それが結果的に間違っていたら、それは二重の意味で叩きのめされることだと思っていた。

あえて普通ではないとわかっていることを自分の判断で行っているのにも関わらず、その判断が間違っていたのなら、最初から普通の方を選ぶべきだという価値観を持っていた。

 

それは、自分よりも自分が作り上げた普通の方を重んじていたということだ。

それは、ある意味当然で、自分が思う普通を作り上げたのは、自分が普通でない自覚があって、それに引け目を感じていたからだ。

 

ナニコレ?

自分で自分を縛り上げて、自由を奪って、苦い思いを繰り返して。

人は、どこまでも捻じ曲がれるものなんだな。


後悔したくないのに、結局、素直になれなかったことが理由で後悔していた。
でも、後悔したくないという思いが消え去らなければ、いつまでも素直になりづらく、後悔し続けることになる。


結局、後悔することはなくならないのだから、開き直ればいい。
それしかない。

どのみち後悔するのだから、そうしてみよう、って。
まだ自分に素直になって後悔する方が、素直にならずに後悔するよりもましでしょう?

 

それが「普通」の行動ではなかったとしても、自分の素直さの方が、何よりも大切。

それが結果的に間違っていたとしても。

普通なんてものを、世間なんてものを作り出して、それに引け目を感じさせた人たちにお付き合いする理由は何もない。

 

後悔したくないのは、全力でやったのだと自分に胸を張りたいから。

あの時ああしていればよかったなんて思いたくないから。

繰り返すことのできない、一度限りの人生を、手抜きしたくない。

 

なのに。

自分の素直さは、世間の王道からは離れていて、それを引け目に思ってしまって。

なぜなら、間違えることがかつての自分には安全なものではなかった。

したくて間違えるのでも、わざと間違えるのでもないのに、なぜ怒られなければならないのか。

なぜ間違えたのか原因を分析し、同じことを二度と繰り返さない方策を取るようにするべきじゃないのか。

やらかしたことは自分がよくわかっている。

なのにって。

 

同時に、自分を信じてくれる人が、居場所がなかった。

それもあわさってのことだった。

拠り所がないから、怒られたくない。「普通」でないことをして、間違って怒られたくない。

だから、本当の自分はこんなもんじゃないという言い訳を自分に用意した。

何を言われても、本当の自分は違うのだからと自分を安心させる逃げ場を作るために。

 

そんなんで、自分に素直になれるはずがなかった。

本当の自分を隠して表に出さないことにしていたのだから。

 

そうした、全てのことを引きはがして、受け入れることで、「本当の自分」が現れる。

 

誰も見たことのないかもしれない、自分というものが。