あるせくんチームのコーチ、ボブサップエイムくんがIGL(指揮官)として振るった試合は圧巻だった。
周囲への気配り、どう周りを追い詰めつつ有利な場所を取っていくか、迷いがなく、安定していて、さらっとチャンピオン獲りましたって感じで。
試合後にあるせくんがその指揮下プレーしていながらも、茫然としていたのが印象的だったし、自分もこれまでとの違いにさすがとしか言いようがなかった。
だけど。それこそ、本当は自分がしなければならなかったことだった。
万一の可能性を描き、それを潰して、どう立ち回れば有利になるか。
メンバーへ的確な指示を出し、褒めて諌める。
それは、プロの登山家が書いた「生き残った人の7つの習慣」という本の内容と一緒だ。
一瞬で生死が分かれる高山でどうリスクマネジメントするか。
気の緩み、焦り、シミュレーション、想定外をどう潰すか、そこまでするか、でなく、そこまでしてもやっとなのだ。
何か起きなかった時に、あそこまでしなくてよかったのではないか、というのは結果論で、そうなり得ることを防ぐ大切さは、生き残るには不可欠だ。
仕事ができることとリスク管理は別物という指摘は最もで、そこまでやるから、可能性を高めてる。
ひょっとしたらをどれだけ考え潰せているか、その積み重ねがトップレベルの差じゃないのか。
想定外と思いたくなるようなことを防ぐからこそ、そうならずにきた、目に見えにくい、けれど極めて大切なこと。
そして、相手の状況と気持ちをいかに考えられるか。
かつては、そう思っていたのに、そこまでしなくてもと思っていっていた自分には、引き戻してくれるエイムくんの采配だった。
そうでなきゃダメなんだって。
仕事は、大抵は問題を解決するためにある。
それの対価としてお金をもらう。
クリエイター系の仕事の場合には、自分を表現することで、それの対価になる。
クリエイトするのでもなく、問題解決するのでもないなら、まして、ロマンですらないのならば、何のためなのか。
あえていえば、自己表現の変形になるのだろうけれど。
自分のためにする最たるものじゃないか。
他者の介在しない、その成果として対価がある。
だから、究極的に自分を追求しなければならなくて、そんなことしてもいいのかって思ってた。
でも、悔いのない人生とか、最後に自分に満足できるかというのは、自分のためにどれほどできたのかを意味していると思う。
「幸せになったら、少しだけおすそ分けをする」までは少なくとも自分を求める。